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株式会社サカタ製作所
製造業
中部
100〜300人
File.51
全社員のマインドを統一 ぶれずに改革実行 ―残業時間削減方針を貫いた金属屋根部品製造販売「サカタ製作所」の場合―
2020.12.22
創業から間もなく70年を迎えるサカタ製作所(新潟県長岡市)は金属屋根部品の製造販売を手掛け、国内で大きなシェアを誇る。もともとは大工職人が使う鉋(かんな)を作っていたが、金属屋根部品や太陽光パネルを屋根に取り付ける際の部品など、時代の変化に合わせて事業を展開し、中心となる製品を変化させてきた。その姿勢は働き方でも同様だ。2018年に厚生労働省の「イクメン企業アワード」で両立支援部門グランプリ、19年に「ホワイト企業アワード」で最優秀賞、20年にプラチナくるみん認定など、改革の実績も評価されている。そんな同社の改革は、社長の突然ともいえる「残業時間ゼロ宣言」から始まった。
突然の「残業時間ゼロ宣言」
同社は業界シェアを拡大させていくなか、働き方で大きな課題を抱えていた。総務部の岡部美咲さんは「残業するのが当たり前という雰囲気があった」と改革前の社内の雰囲気について振り返るが、業務計画は残業時間を当て込んで考える状況が続いていた。「残業をなくせば単位時間の生産性は上がるだろうと思っていた。しかし、確証があるわけではない。なかなか実行できずにいた」との言葉の通り、残業に対する課題は坂田社長も感じていた。
そんななか、次年の経営方針などを発表する全社員が参加する全社集会が2014年11月末に行われた。事前に行われた取締役会議では、「残業時間の前年比20%削減」を翌年の経営方針の一つとすることが決定されていた。「なんとなく中途半端な目標だな」。坂田社長は違和感を覚えながら当日を迎えた。
全社集会では、ワーク・ライフ・バランスに関するコンサルタントによる講演会が予定されていた。講演は、岡部さんら総務部の女性社員らの希望により実施された。「この方の話は全社員が聞くべき内容」。以前講演を聞いたことのある総務部の社員の一人はそう感じていたという。
講演中、講師は、現状の同社の仕事の進め方に課題があると指摘した。指摘内容について「正直、かなりきつかった」と坂田社長は苦笑する。講演後、坂田社長は全社員の前で「残業時間ゼロを実現する」と宣言した。講演に背中を押された形となったが、その宣言は役員会議も経ていない、社員からすれば突然の宣言だった。
ぶれずに残業時間削減の方針を貫く
「『そんなこと本当にできるのかな』というのが率直な印象だった」。宣言を聞いた製造部の中野雅則さんはそう振り返る。中野さんの言葉に表れているように、残業時間削減への道のりは険しいものだった。
「赤字になったらどうするんだ」「納期が守れなくなる」。社員からは厳しい発言が飛んだ。一番堪えたのが「お客様からの信用をなくしますよ」という言葉。それでも坂田社長は「利益が出なくてもいい」「納期が守れなくてもいい」と答え、ぶれずに残業時間削減の方針を貫いた。「残業するための言い訳、いわば『逃げ道』を社員からなくしていった。今思えば卑怯(ひきょう)だったと思う」と坂田社長は振り返るが、強い言葉とぶれない姿勢は、社員に対する信頼に裏打ちされたものだった。
残業ゼロに向け、各部署が工夫を凝らしていった。仕事の属人化を防ぐため、部署内の勉強会による知識の共有や、多能工の育成などを進めていった。そのほかにも各部署とITシステム課が協力し、ITを活用した業務効率化を推進した。また、総務部では部署ごとに残業データをまとめ、管理者会議で共有。残業が多い部署は「なぜ減らせないのか」「どうやったら減らせるのか」と、会社が一体となって考えていった。
その結果、2014年の1名当たり月平均残業時間は17.6時間だったのに対し、15年には5.9時間、その後、19年までは、毎年約1時間で推移してきた。
「全社員が同じ講演を聞き、全社員の前で残業時間ゼロを宣言した。このことが成功につながったのだと思う」。岡部さんはそう話す。中野さんも「残業しないためにはどうすればいいのか考えながら業務に当たっている」と話す。
年次有給休暇・男性の育休取得推進にも着手
残業時間削減に着手していく中で、15年夏ごろに勤怠管理システムを導入した。以前はエクセルで管理していたが、勤怠管理システムの導入により、管理が容易になったことを受け、より柔軟に年次有給休暇を取得してもらおうと、1時間単位での年休取得制度も取り入れた。子育て中の社員から好評だという。
同時に推進したのが、男性社員の育休取得率の向上だ。それまでも、男性社員も育休を取得するよう推奨していたが、14年まで取得実績はゼロ。15年には2名が取得したが、その内訳は再三会社からの要請でかろうじて1日取得したのと、もう1名は出産後の妻の体調不良により急遽取得したものだった。結局、16年には取得実績がゼロに。現場への浸透に苦労していた。
変化のきっかけはある男性社員の声だった。「育休を取得するよう言うけれど、現場では取ると言いづらい」。訴えはすぐさま社長の耳に届き、所属部長に育休を取らせるよう指示を出した。坂田社長は「そもそも育休を男性が取ってもいいということを私自身が知らなかった。社員の権利を知らなかったことは恥ずべきこと」と反省を口にする。
動きはこれだけにとどまらない。翌日の朝礼で「育休は対象となる全社員が取らなければならない」と宣言した。二度目となる社員に対する宣言だが、坂田社長は「全ては『パフォーマンス』。社員の前で方針を打ち出し、事実を作っていくことが大事」と力を込める。
男性の育休の取得推進に当たっては、育休取得に関する男性社員の不安を解消していった。育児休業給付金などの国の制度があることなどを、総務部が中心となって社員に粘り強く説明していった。年末の全社集会では「イクメン表彰」と題する表彰も行い、浸透に力を入れた。
全社一丸での取り組みは実を結び、18、19年の男性社員の育休取得率は100%となった。育休取得が当たり前という環境が実現したため、20年以降の全社集会ではイクメン表彰を行わない方針という。
総務部の漆原大介さんは、「会社は本当に変わった」と笑顔で語る。以前は毎日1時間ほどの残業が当たり前だったが、今では定時になるとオフィスに誰もいなくなる。「有給休暇も事前に取得する旨さえ伝えておけば問題ない」といい、年休が非常に取りやすい雰囲気と環境だ。漆原さんは年休を利用して、趣味のスキーに出かけているという。
時代に合わせた変化でさらに先へ
漆原さんは「スキー場でスキーをしながら働く。そんなフレキシブルな働き方ができればいいと思っている」と今後の働き方について期待を寄せる。漆原さんの言葉に表れている通り、同社ではテレワークの推進を進めている。新型コロナウイルス感染症の影響以前からテレワーク制度を導入していたが、実際に制度を利用していたのはわずかな希望者だけであった。「『ウォーキング』くらいのスピード感だったものが『短距離走』になったと思うほど、急激に世の中の動きが進んだ」と坂田社長は話す。
今後については「仕事とプライベートは分けるべき」という考え方のもと、オフィス以外の仕事場の創出を考えている。「サテライトオフィスをはじめ、自宅以外でも柔軟に働くことができる場を作っていきたい」と前を見据える。
坂田社長が大切にしているのは、時代の変化に合わせて柔軟に変わっていく素地を作ることだ。16年からは副業についても解禁している。「時代の変化に合わせて就業規則はどんどん変えていけばいい」と説明する。
先進国では少子高齢化が進み、労働人口が減り続けている。企業は「働き方」の再考を迫られている一方、一人一人の価値観は多様化している。坂田社長は「日本で成功した改革は世界でもつなげていける」と話し、「今やっている改革はほんの『一里塚』。改革の先にもっと大きなテーマが待っているのではないか」と力を込める。
今、サカタ製作所で実行している改革の一歩は、世界の働き方を変える一歩となる。「会社は公器である」という社是を体現するように、同社は時代の変化とともに変わり続けていく。
CASE STUDY働き方改革のポイント
全社員の前で「残業時間ゼロ宣言」
- 効果
- 2014年11月末の全社集会で「残業時間ゼロ宣言」を全社員の前で行った。トップ主導で改革を進め、社員の反発もある中、ぶれずに削減に向けての動きを加速させ、平日の残業はほぼゼロの状態を作り上げた。
年次有給休暇・男性社員の育休取得推進
- 効果
- システムを導入したことにより勤怠管理がしやすくなり、1時間単位の年次有給休暇取得制度を導入。同時に男性社員の育休取得の推進も行い、直近では2年連続で男性社員の育休取得率100%を達成した。
テレワークや副業など時代の変化に合わせた改革
- 効果
- 「時代の変化に合わせて就業規則はどんどん変えていけばいい」という思いのもと、テレワーク制度や副業制度などを積極的に採用。
COMPANY DATA企業データ
社会性に勝る方針はなし
株式会社サカタ製作所
代表取締役社長:坂田匠
本社:新潟県長岡市
従業員数:156名(2019年12月現在)
設立:1973年1月(創業1951年9月)
資本金:1,320万円
事業内容:公共産業用(非住宅向け)金属折版屋根構成部品・ソーラーパネル取付金具・架台の設計、開発、製造、販売、施工指導
経営者略歴
坂田匠(さかた・たくみ)1960年2月、新潟県生まれ。日本大学工学部機械工学科卒業後、1983年に大道エンジニアリング入社。1985年、サカタ製作所に入社。常務取締役を経て1995年に社長就任。趣味は歴史書などの読書。